バイオヒート2章













漆黒の海はどこまでも続く。
まるでそこから先に世界など存在しないかのように、水平線も見えぬ黒い闇が広がる。
その中に点々と、赤く揺れる光だけが
そこに地面があることを示していた。
立ち上る炎に照らされて、暗い海が不気味に揺らめいた。






















「辛気臭ぇのは勘弁だ、なんか曲でもかけようぜ」
エジムンドが言って、ジュークボックスのスイッチが入れられる。



カブキロード、裏通り。
シャッターの下ろされた小さなバーの中で、7人の男女が思い思いに佇んでいた。
カウンターに腰をかけ、それぞれ勝手に店のボトルをあける20代後半の男性と、10代後半の少年。
「あ!未成年は酒を飲むな!しかも刑事の前で!」
「………。」
エジムンドの声に、思いっきり呆れ顔を作り、クレアは構わずグラスにウイスキーを注いだ。
刑事が店の物を勝手に盗るのはいいのか、と思ったが
それは口にしなかった。
店の隅で将軍とフィアが、何かを短い言葉で話し合っているようだった。
その様子を横目で窺い、クレアは再びグラスに視線を落とした。
カウンターの裏手に仮眠所のような小さな部屋がある。
部屋の中央に設置された簡素なベッドの上で、モニカが小さく寝息を立てている。
勝手口のような古い扉の前に、外からの侵入を防ぐためであろう
荷箱がずっしりと置かれていた。
部屋の片隅に、木で作られた急な階段が伸びていた。
階段を上がった、バーの二階に位置する部屋には窓が無かった。
薄暗い部屋の中には、押し込められるようにして様々な武器の陳列棚がある。
ハンドガンからショットガン、ライフル銃。
一見して何に使うのか分からない物もある。
試しにイアンがショットガン手に取る。
左手でバレルを上下に動かしていると
「それ、似合うな」
感心したようにダイスケが奥から声をかけてきた。
「それはどうも」
素っ気無く答えてショットガンを棚に戻した。

通りは恐ろしいほど静かだった。
生き物の気配は全く無く、動くものの気配もない。
本来ならば見えるはずの摩天楼の夜景もなく、月明かりだけが眠った街を浮き上がらせた。
バーに、モニカ以外の6人の人間が集まっていた。
カウンターの上に広げられたのは、街の地図だった。
「いつまでもここにいる訳にもいかないしな」
最初に口を開いたのはダイスケだ。
地図の両端を肘で押さえつけて、頬杖を突いている。
「朝まで待てば救助が来るんじゃねぇの?」
投げ槍気味に言ったのはエジムンドだ。
グラスを手の中で弄んで、カラカラと氷が音を立てた。
刑事なら救助してくれよ、と言おうと思ったが
自分も大して変わらない事に気付いてダイスケは言わなかった。
「ジュド全体の事までは把握していないわ。
 私は今朝出社前のサウスエリアの状態を見ただけで、あとはずっとここにいるんだもの」
眠るモニカの様子を気にしつつ、ドアの脇でフィアが言った。
軽く組まれた腕から、丁寧に塗られたピンクのネイルが覗く。
先ほどまで屋上でライフルを手にしていたというのに、あまり疲労の色は見えず
目が合えば、にっこりと薄く微笑を返す彼女は
こうして見ると、なるほど美人なんだな、とダイスケは感心した。
「僕らも同じようなものですね。
 昼ごろここに着いてからは何処にも出ていませんし」
イアンはクレアの横に立って、彼に向かって言った。
カウンターに腰掛けたままのクレアは、右手で頬杖をつき、思い出すように言った。
「30人、いやもっといたな、化け物が。
 街の中は全部あんな感じなのか?だったら何処へ行ったって一緒だ、街を出る以外…」
ダイスケが壁際の椅子の上であぐらをかく将軍に視線を送ると
「街を出る方法なら、簡単に分けて二通りあるだろう」
静かに言った。
ダイスケが無言で頷くと、地図に目を通した。
円形に広がる海上都市ジュド。
外界との繋がりは、北に向かって一本に伸びる橋。
「ノースエリアから北に伸びるニューゴールデンブリッジ
 ここから外陸に出るのが一番簡単だろ」
ダイスケが言うと、今度はクレアが口を挟んだ。
「今ここはカブキロードだよ。道の状態も分からないのにノースエリアまで着けるかな?
 徒歩で行ったとしたって時間もかかるし、街中を通るなら危険も多い」
「あともう一つはベイエリアだな。こっちならカブキロードからの距離も遠くない」
カブキロードから南下した位置に広がる港、ベイエリア。
そこをさらに南下するとスラムエリアがある。
港から船を使うか、外陸との唯一の架け橋を使うか。
「どちらも望みをかける事はできる。しかしどちらも使えないという事もあるだろう」
将軍が重く、それだけを意味ありげに言った。
たしかに、港に着いても船が無ければ結局脱出はできず
かといって橋が通行できない状態に陥っている危険性だって無くはない。
「まぁでも、行ってみなけりゃ分かんねぇしよ
 ここでこうしてるのも実際退屈だよなぁ。なぁ?」
「ケンちゃんさっき、朝まで待とうぜとか言わなかったか?」
人間がストレスを感じるのは停滞感を感じた時だ、という
数年前に読んだ本の一節がイアンの脳裏をよぎった。
実際、長い時間を待たされるよりも
長い距離を歩いた方が人は耐えられるものであり、その場にいた全ての人間が
早くこの現状を脱したいと思っている。
「俺はノースエリアに一票だな。別に船酔いを心配してる訳じゃねぇ、なんだその目は!」
立ち上がりながらエジムンドが言う。
「私は出来れば港がいいわ。街中は確かに危険よ」
神妙な面持ちで続いたのはフィアだ。
「あのさぁ」
思いついたように、ふいにクレアが顔を上げた。
「北がいいだの港がいいだのと言うけど、何、7人でゾロゾロ行くつもりなの?…僕はごめんだよ」
「お前、この状況を分かっててその物言いか!?協調性のねぇ奴だな
 7人一緒に行動しなけりゃ取っ囲まれて最期だろうが!」
身を乗り出して講義するエジムンドを尻目に、クレアが続ける。
「…大人数で移動する事が本当にこの場合良策かな?」
頬杖をついたままダイスケを見やると、ふい、とそっぽを向いて黙ってしまった。
しばらく考えてから
「7人で行動できれば安心だけど、でも確かに。
 移動の事を考えるとせめて二手に別れた方が良さそうだな」ダイスケが地図を見ながら言った。
「幼子も一緒だ。それが良かろう」
将軍の一言というのはこんな時、妙な説得力を持つ。
ツカツカとエジムンドがダイスケに歩み寄り、首根っこを引っ掴んでカウンターの隅で声を潜めた。
「じゃあお前、お前アイツと行け、アイツと!」
エジムンドが自分の肩越しにクレアを指差して言った。
「…なんでだよ?」
あぁ!と大仰に額に手を当てながら続ける。
「馬鹿かテメェは!マフィアのドンをな、女子供や老人と一緒にさせられる訳ねぇだろ!」
カウンターに肘をつきながら、クレアが面白く無さそうな目線を投げかけてきたが
ダイスケはあえて無視した。
エジムンドにとっては将軍もただの老人なんだな、と思うと少し可笑しかった。
「じゃあケンちゃん一緒に行ったらいいじゃん」
わざとからかうようにダイスケが言った。
それこそ身をかぶるようにしてエジムンドが言う。
「本当のアホかテメェは!俺は刑事だぞ!?刑事がな、マフィアのドンと一緒に行けるか!」
「案外それって良い絵になりそうだよ」
この言葉だけはクレアに聞こえないように、細心の注意を払ってダイスケが言った。
「…なんの算段か知らないけど、僕らはベイエリアに向かう事にするよ」
ため息混じりに言ったのはクレアだった。
ひょいっとエジムンドの頭を押さえつけて、カウンターの隅からダイスケが顔を出す。
「なんでだよクレア」
「なんでって? 早いとこ、ここから出たいからに決まってるじゃん」
「港が駄目だったらノースエリアまで行かなきゃいけないけど?」
「ノースエリアが駄目なら港に行くだろ?同じ事だよ」
そう言われれば確かにそうだ、そう考えると港を先に目指した方が道順としては良い。
だが、橋が使えない危険性より船が出払っている危険性の方が高い事は高い。
しかし、どちらにしても行ってみるより確認のしようがなかった。
「よし、じゃあ俺もベイエリアに行くよ」
良く言った、犯罪を未然に防いでこそ特務課だ、と小さく拳を作ってエジムンドが呟いたようだったが
将軍とモニカを連れて北へ向かう事になった彼が一人ごちた。
「待てよダイスケ、俺は老人の介護と子守に追われる主婦か!?」
「心配すんなよケンちゃん。将軍まだまだ元気だからさ」
それは間違いなく真実なのだが、エジムンドは納得いかない様子であった。

フィアが優しくモニカを揺り起こそうとしたが、エジムンドのダミ声が早かった。
時刻はおよそ夜中の10時。幼いモニカが目覚めるにはあまりに早い。
眠い目を拳で擦りながら、不機嫌極まりない目付きでエジムンドを睨んだ。
「人がせっかく良い眠りに入ってるっていうのにさ、もうちょっと起こし方があんだろ!?」
「うるせぇ!スヤスヤおねんねしてる場合じゃねぇんだ!とっとと起きろ!」
ひとしきり文句を言い終わると、不思議と大人しくなったのは
やはり眠気のためなのか、あるいは始終微笑んで見つめるフィアの手前、決まりが悪かったからか。
子供はなぜか美しい女性の前で良い格好をしたがるんだよな、とダイスケは思い返していた。
イアンからマガジンを受け取ると、一本を手持ちのハンドガンへ
もう一本を腰に取り付けたケースの中へしまい込む。クレアの荷物はそれだけだ。
薄汚れた登山用のようなリュックの中に、銃身をむき出しのまま押し込め
使い方の分からない武器まで詰め込んでいたエジムンドがダイスケに止められ、仕方なく荷物を減らした。
「あたしのカメラ見つけたら絶対拾ってよダイスケ」
そう言いながら、モニカはエジムンドに手を引かれ、将軍の後について店を出て行く。
こっちは飾りっ気がねぇなー、というモニカの声が遠くでかすかに聞こえた。








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